第21話『造られた人間』(3/6放送)

「弟を守るのが兄だ・・・!」(スカー)

面白い、と思う。
と思うと同時に、自分には、主人公兄弟に対して“嫌になる程の試練”を与えて楽しんでいる物語のようにも思える。
というのは、主人公兄弟が既に乗り越えている筈の試練を、幾度も改めて(手を変え品を変え)与えて苦しめているからだ。

この「鋼の錬金術師」の物語は、「人(母親)の死」に抗おうとして痛い目(身体の喪失)に遭った兄弟が、その(自分達にとっての)不幸を乗り越える為に、自分達の人生(=失われた肉体)を取り返そうとする話なのだと思う。
その為には「どんなことでもする」と、エルリック兄弟は固い決意を固め、故郷を捨てて旅立つ。
その旅で、兄弟は選択を迫られる。
「他人を犠牲に自分達の目的が達せられるなら?」
すなわち、それが今彼らに降りかかっている試練。

・・・なのだけれど、「それ」はここまでの話でも幾度も問われてきた事で、自分には主人公は既に答えを出しているように思っていた。
例えば、「合成獣の泣く夜」「砂礫の大地」(前・後編)でもそうだし。というか「マルコー・ノート」の件でも、考えるまでも無く(他人を犠牲にすることを)否定したから落ち込んでいたのではないのか?
答えが出ている筈の試練を何度も出されると、「またまた?」という気にもなるのだ。

とはいえ、逆に「(答えが出ていると思っていたのは)自分の思い込みだろうか?」とも考える。
いままでのイベント(事件や人との出会い)は、あくまで主人公兄弟への問題提起であって、彼らの中で結論はまだ出ていないのかもしれない。もしくは、本当は答えは出ているのに、迷っているのかもしれない。
そして今、新たに浮き彫りにされた彼らへの試練、「魂の練成」。
いままで乗り越えた不幸と様々な人との出会いから、彼らをどんな“答え”を出すのだろうか?
僕はその答えを待ちわびている。だから「鋼の錬金術師」の物語を楽しみにしているのだ。
「早く答えをハッキリしてほしい」、と。