AVENGER
第13話「OUTER」(最終回)
「お前の旅の本当の目的をみつけろ」(クロス)
というわけで、無事にヴォルグへの復讐を果たしたレイラは、育て親のクロスの言葉どおり“復讐からは何も得られず”に一人旅立ってゆく・・・

そんな最終回なわけですが。
正直な感想。ワシには面白くないアニメだった。
人によって期待するところが違うので当然評価の分かれるところで、「あの虚無感が良い」とか「レイラさまの一人寂しいところが良いよ〜」とか感想も聴こえるのですが。自分にはどうにも。

火星の人類世界(世界観)とかレイラの空虚な復讐の旅とか、そういうのは良く描かれていたと思う。
ただ、物語としてはどうだろうか?
あれだけ育ての父が命を張ってまで「復讐は何も生み出さない」と警告し、ネイが自分を慕ってきたり、スピーディーのようなお人好しの相棒がついて来てくれたりしたにも関わらず、最後まで復讐の目的に固執した主人公、レイラ=アシュレイ。
あのくらい「世界の優しい部分」を見せられたにも関わらず、自分の意志(復讐)を貫いた、という意味では立派なやつではある。
ではある。ではあるのだが、それを見せられて面白いだろうか?
いくつものイベントがあったにも関わらず、主人公に何も変化が起きない。それではイベントの羅列であり、物語は感じられなかった。

・・・ただ一つ気になる点もある。
それは、ヴォルグとの決戦を受ける前段でネイが原因不明の高熱を出して倒れ、その治療を条件にヴォルグがレイラに決闘を申し込んできたことだ。
もちろんレイラは決闘の申し出を受けたわけだが、これだけをみればレイラはネイの治療のために(本当はしない筈だった)ヴォルグとの決闘をする事を決めたように思える。ネイが倒れた時も治療のために奔走するシーンも確かにあった。レイラにとってネイが“守りたい“存在”であったのは読み取れる。それ故に(クルスの死によって辞めようと思っていた)決闘をヴォルグの申し出によりすることになった・・・という感じだ。
OK。それならばドラマだ。認めよう。
だが、そういうドラマになる為に一つかけている描写がある。それは「レイラが復讐を辞める事を決意する」事だ。それが無いために、行き当たりばったりで最後の復讐までを行ったようにしか見えないと思うのだ。

そんなわけで。

  • クルスと戦った後、ネイの治療に奔走する前にレイラが復讐を辞めようとするシーン。
  • または、ネイが倒れるイベントは無しで、(ネイを含む)自分の周りの全てを振り払ってヴォルグに復讐を挑むのだ、という描写。

以上2点のいずれかが話しに挿入されていれば、作品から受ける印象は随分変わっていたと思う。
前者は先に語った通りの理由で。後者は、レイラの空虚な復讐壇を描こうとするならば欲しかった描写だ。


荒廃した世紀末的世界。
復讐のみを糧に旅を続ける女戦士とそれに寄り添って共に旅をする少女。
「こいつについていけば美味しい話にありつけるかも?」と女戦士に勝手についてくるネゴシエートに長けた(?)青年。
それは良い。悪くない。
だが、僕が見たいのはドラマなのだ。キャラと世界観(だけ)ではないのだ。