第2クールに入ってから描かれているコズミックフラクチャーがどうとかの部分は、結構描写に時間をかけたりしている割には、面白みに欠けていると思う。
理由の一つは、物語(または主人公達)に全く絡まないし、かといって(多分ステルヴィアの視聴者の多くは)SF面に多くを期待していないからだ。
だが、同じ佐藤竜雄監督作品である「機動戦艦ナデシコ」(『木星蜥蜴』)や「学園戦記ムリョウ」(『敵対異星人』)でのそういう『人類に対する脅威である存在』は物語に実質上無関係にするか、頑張って消化している。
ナデシコ」の『木星蜥蜴』は主人公天川アキトの理想を打ち砕く存在(または生き方を変えるキッカケ)として有ったし、「ムリョウ」では主人公には直接関係しているようでしていない存在として有ると思う。
ただ、「ナデシコ」のキャラは自己都合で全て動いている(または、ほとんど常に我を通そうとする)とか、「ムリョウ」ではあくまでキャラの掛け合いを通じて(説明的な表現を可能な限りそう見えないように)事象を描いているとかの違いがあるけれど。
そこのあたりが「ステルヴィア」との違いになっていると思うのです。
このあたりはステルヴィアとムリョウを全部見てからまた書こうと思います。
(8/20ステルヴィア第21話鑑賞後、記述)