1985〜二つの刻の狭間で〜(山口宏 角川スニーカー文庫(角川書店)

面白かったです。
この小説は普通に面白かったですが、色んな意味でも。

◆TV→小説→OVA

この監督自らが書き下ろしている本作「ゲートキーパーズ1985」では、TVアニメ「ゲートキーパーズ」と、その31年後の世界を舞台にしたOVAゲートキーパーズ21」の間の時間軸の出来事、およびOVAでばらまかれていた謎を明かしている。

「TV→小説→OVA」と、作品世界の時間軸的にはなるわけだが、発表された順は「TV→OVA→小説」(小説は何処かの雑誌に載っていたらしいが、「どの雑誌か」「何時頃だったか」は知らん)。

俺は「同じメディア以外を全て見ないと作品の謎は明かされない」という形はあまり好きではないのだけれど(面倒くさいから)、面白いとは思っている。
んで、実際「OVAで明かされなかった謎がここに!」というような触れ込みで発売されていたので、そのつもりで買ったのだけど、「ゲートキーパーズ」という作品を別な角度で再評価できて、意外な収穫だった。

「人生の何処で切り取ってみるかで、その物語はさまざまに変化する。ハッピーエンドか、バッドエンドか」

これは作中の人物の台詞だが、山口宏は「ゲートキーパーズ」の物語でそれを描いている。

◆破壊されたハッピーエンド

TVシリーズの最終回では「主人公たちはインベーダーの幹部に勝利してハッピーエンド」となっている。
だが、その後の物語である本作「ゲートキーパーズ1985」では、主人公、「浮矢瞬」の所属する対インベーダー組織「イージス」は壊滅。
「浮矢瞬」はTV版のヒロインとも別れ、メンバーは離れ離れ。
その後「浮矢瞬」は「貧しくも幸せな家庭」を築くが、かつての精神的外傷から逃れられずに再び戦いに身を投じ、インベーダー幹部と刺し違えている。

かくして物語は主人公を「浮矢」の娘「五十鈴綾音」に移したOVA作品「ゲートキーパーズ21」に続くわけだが。

この小説版では、大抵の作品では視聴者に委ねている「ハッピーエンドの後の物語」を原作者が描いているわけであり。
原作者自身がTV版のハッピーエンドを破壊しているといえる。
しかし、これこそが「ゲートキーパーズ」の真骨頂なのだ。
といっても、ハッピーエンドの後に不幸な(?)物語を連ねた事に感心して言うのでは、もちろん違う。

◆山口宏監督が「ゲートキーパーズ」でやろうとしたこと

ゲートキーパーズ」という作品で何が凄いかというと、時間的な流れを視聴者(読者)に感じさせようと試みている点だ。

もちろん、他のアニメ作品でも同じ作品世界で歴史的に長い時間を描いていたりする作品もありますが、10年単位のスパンでそれを行い、次世代の主人公を描いている作品は他に知らない*1
強いて言うなら「銀河英雄伝説」もそうかもしれない。しかし、あれは読者が主人公達の視点で作品世界の出来事を追っていく感じだし、あくまで2人の英雄の発現から死までの物語でしかない。

ゲートキーパーズ」ではTV版、その後の物語、大人になった「浮矢瞬」の葛藤から死まで、そして「浮矢瞬」の影響を多分に受けた娘「五十鈴綾音」の物語までを描いています。
これは最早「ゲートキーパーズ・サーガ」(または「浮矢一族物語」かも知れないけど)ともいえる存在に近いでしょう。

山口宏監督は「劇画・オバQ*2にかつて大変衝撃を受けた、と、「ゲートキーパーズ1985」のあとがきで述べています。
本人は同じくあとがきで「その時の衝撃を再現したかったわけではない」と述べていますが、影響を多分に受けているのは事実でしょう。

◆で、成功しているか?

この作品の試みが世間様で評価される可能性があるとすれば、TVシリーズが世間様で評価されなければいけなかったのですが、正直この作品がどのくらい受けていたのか知らないのでその辺りはなんとも。
しかし、この試みは俺的には凄く面白いので、是非こういう作品がもっとできないかなぁ、と思う。

ちなみに、俺はTV版の「ゲートキーパーズ」は今でも余り好きじゃない。

*1:あくまでアニメ作品では、と限定されるし、俺も全ての作品を知っているわけではない。もちろん言い訳ですが。ちなみに、アニメ作品に縛られないなら当然ある

*2:藤子不二雄の短編コミック。同作者の長編「オバケのQ太郎」のその後を描いている。すご〜〜く大雑把にストーリーを説明すると、【Qちゃんが成長して結婚もしている正ちゃんの元に再び現れます。が、正ちゃんは子供もできていて、すっかり大人。自分の知っていた正ちゃんはもういないことを悟り、一人オバケの世界に帰っていく。】という話。これは本当に大雑把な説明なので、未読の方は是非機会を見つけて一読することをお勧め。藤子不二雄全集とかに載っていると思うので