ガンダムSEED

第47話「悪夢は再び」
核ミサイルを切り札に、地球軍の反撃が始まった。
ザフトの要害も核ミサイルの雨あられで瞬殺。
地球軍は余勢を駆って、ザフト本国へと侵攻する。
迎え撃つザフト軍だが、地球軍の3ガンダムの為にMS戦では押さえ込まれてしまう。
そこに再び放たれる、核ミサイルの大群。
だがその時、光が走り、全てのミサイルは迎撃される。
フリーダムとジャスティス(と、アークエンジェル&エターナル)が惨劇を止める為、現れたのだ。
地球軍に撤退を求めるラクスだが、地球軍は聞く耳を持たない。
そして、地球軍にNキャンセラーのデータを渡したのがラクス達と思い込んでいるザフトのザラ議長(アスラン父)は怒り、巨大砲“ジェネシス”を起動させるのだった。

まぁ、そんな話でした。
悪夢を悪夢としてこれまで描かれていないのに、“悪夢再び”と言われてもピンとこないなぁ、というのが正直な感想。
こういった、スタッフが意図したモノを視聴者に伝えられていない現象は、SEED全編通して結構な割合で発生している。
中でも、自分が一番納得できなかったのは、キラとアスランの戦い(を通して描かれる、親友同士が戦わなければならない戦争の悲しさと当人の葛藤)だ。
なぜなら、キラとアスランが親友だとは、自分には(物語終盤の今でも)思えないからだ。もちろん設定としては知っているし、作中でも「友達だ」とか言われてはいるが、視聴者にそう思わせる描写が弱すぎたのが原因だと思う。
それに加え、トールやミリアリア達と仲間付き合いしている様子は第1話から書かれているので、親友の筈のアスランより、彼らのほうが親友っぽくみえたりする。
逆に、キラがアスランに誘われてもザフトに行かない(第10話「分たれた道」)のが当然のように見えましたよ。葛藤しているほうがおかしく見える。
としないのがそりゃあ、キラもアスランのところに行かないよ。
例えるなら、恋愛アドベンチャーゲームの冒頭でいきなり「このキャラがあなた(プレイヤー)の恋人です」
といわれても、プレイヤーにそのキャラへの愛着が沸かないようなもの。
で。
私がこの日記で割と言及しているアニメ「宇宙のステルヴィア」も、そんな「伝えたいことを伝え切れていない」問題の存在を感じます。
それについてはステルヴィアが最終回を迎えた後にでも書きましょう。
ていうか、SEEDもあと3話で最終回か。