第4話〜第11話までを見て。

第4話から見始めたので。

ワシはいつも楽しく見ているステルヴィアなんですが、「微妙」とか「中途半端」といった評価を受けがちです。
で、まあ大抵、文句をつけられているポイントは正しいようにも思っているわけですが(ワシが気にしていないポイントだったり、見当違いの非難も中にはあるけれど)。
それは主人公として志麻を置きながら、物語の描き方が群像劇に近いからではなかろうか、と思う(少し強引な解釈かもですが)。

実際、今回(第11話)のお話を見ても、様々な人物の様子が描写されている。
・初佳とやよいの過去の出来事を色々連想するやり取り。
・お互いを意識しつつある志麻と光太。
・学園長と光太の(謎)会話。
・りんなとのお別れが近くなり、さびしくなるなあ。
・劣等生同士(?)仲が急接近する予感の、ジョジョと晶。
・今後の展開を半ば暗示する(と同時に謎だらけな)学園長とステルヴィア司令官の会話。
・暗躍しそうなヒュッター先生。

と、これでもかとばかりに、エピソード(?)をつめていますよ。
また、第7話「くやしいよ」でもそうだ。
最終的に志麻の「くやしいよ」で閉めてはいるが、そこまでに志麻以外のレギュラー陣、やよい&初佳やアリサの話(後の話への複線)を振っていたりする。
そこが「宇宙のステルヴィア」の魅力に繋がっていると、僕は思う。
同時に、多くの人が「ステルヴィア微妙!」と言ってしまう要素だとも思うのだけど。

かつてTVアニメ「機動戦艦ナデシコ」も群像劇っぽかったように思う(たしか、小説版(角川スニーカー文庫版)の解説で監督自身が『主役不在の群集劇』とか語っていた)。
更にそういった要素を、逆に突き詰めているのかもしれない。
それは、「ナデシコ」と違い、「ステルヴィア」は物語の流れを意識したエピソードを入れていることにある。


ワシが、ステルヴィアを面白いと感じる要因の一つとして「第2クール目の展開を視野にいれた話をビシバシ挿入している」ことが考えられる。様々な複線が現れるたび、2クール目の展開に思いをはせると期待で胸が張ち切れそうだ。ワシはそんな複線をまとめて解決する最終回でのカタルシス(?)に期待してしょうがないのです。

しかし、逆に(現時点で)つまらないといわれる間接的要因もそこにあるのではないかとも考る。
おそらく多くの人が期待しているであろう「“しーぽん”という萌えキャラが主人公の成長ドラマ」としてみるには、確かにしーぽんにドラマを集中(あるいは徹底した盛り上げを)させていないと思います。それ以外の要素を多く詰めているからかもしれません。


「何を期待して見るかによって、ステルヴィアの評価は変わる」
誰かが言っていたけれど、それは同感。
ステルヴィアのストーリーは1話完結ものとは違うので、各話で得られる快感みたいなものは比較的少ないと思う。
それでも、各エピソードでは起承転結ちっくには描いていたと思うのだけれど。

と、ここまで徒然なるままに考えたことを書いたわけですが。
今の時点での結論(というか推測)としては、「ステルヴィア」は長いスパン(第1話〜最終回)を視野において主に話を綴っているのだろう、ということ。
これは、毎週放送、一話完結のTVアニメとは相対を成す構成で、どちらかというと、外国の連続TVドラマとかに近いのではなかろうか? 今放映中のロズウェルとかみたいな?
ワシは、その辺りを感じて後半(2クール目)の話に期待してしまうのですよ。

そういえば、最近は大きな物語よりも物語(とか世界)を予感させる事が重視されている、と聞いたことがある。
なるほど。ここまでのステルヴィアはそうなのかもしれない。

なんで急にこんなことを書いたのかと言うと、先日友人に「なんでお前はステルヴィアが好きなんだ?」というようなことを聞かれて。その時はお茶を濁したので、答えみたいなのを考えようと思ったわけ。
まあ、余り答えになっていないけど。
ステルヴィアの最終評価は最終回を見てからでないと下せないと、半ば確信しているので、あとおよそ3ヶ月、のんびり見守ろうと思っている。


で、その友人にそういった結論を言うと、「それは駄目ってことか?」といわれた。
・・・うぐぅ